ビキニ水爆実験

1954年3~5月、マーシャル諸島のビキニ環礁周辺で計6回実施。

1回目では広島型原爆の1000倍の水爆が使われ、静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被爆、無線長の久保山愛吉さんが約半年後に死亡した。

当時、周辺海域には日本の船が述べ約1000隻いたとされる。