カスピ海の領有権論争

1921年にソ連とイランの間で結ばれた協定に基づいて境界が設定されていたが、1991年のソ連崩壊で沿岸国が5か国に増えたほか、1990年代に天然ガスなどの資源が発見されたため領有権を巡る争いが続いてきた。

主な争点は、日本の面積に相当する広さのカスピ海は「湖」か「海」かの定義だった。

「海」だと沿岸から一定の範囲だけが領海となる。

自国沿岸付近に資源の乏しいイランは反対し、湖全体を均等に切り分けるために「湖」とみなすよう要求した。

>2018年08月12日、カザフスタン西部アクタウで開かれた会議での協定では合意することを優先し「海」か「湖」かの定義付けは避けた。